作る人として、書く人として生きる。コードは自分の日記みたいなもの

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発信は見せるためだけでなく、自分がどう考え、どう作ってきたかを残すためにもあると思っています。

自分はたぶん、作る人として生きたいし、同時に書く人としても生きたいです。何かを実装して終わりではなく、なぜそれを作ったのか、どう考えたのかまで言葉にしたい気持ちがあります。

この記事の要点

  • 作ることも書くことも、自分の欲望や考えを外へ出す行為としてつながっています。
  • 書くことはアピールだけでなく、自分の軌跡を残して考えを整える意味があります。
  • 作ったから書けるし、書いたからまた作れるという循環があります。
  • コードも文章も、自分にとっては記録であり、日記みたいなものです。

作ることは、自分の欲望を動かすこと

コードを書く時に楽しいのは、ただ機能が完成する瞬間だけではありません。「こうしたい」を実際に動く形へ変えていく過程そのものが楽しいです。試して、壊して、直して、前に進める。その積み重ねが好きです。

だからこそ、自分にとって作ることは単なる仕事ではなく、かなり根っこに近い行為です。

書くことは、考えを外に出すこと

一方で、文章を書くことも同じくらい大事です。作るだけだと、自分の中で分かっているつもりで終わってしまうことが多い。でも書くと、曖昧な部分が露出します。

つまり書くことは、考えを整える作業でもあります。誰かに伝える前に、自分自身に説明し直す行為でもあると思っています。

作ることと書くことは分かれていない

作る人として、書く人として生きるといっても、二つの職業を別々にやりたいわけではありません。自分の中では、作ったから書けるし、書いたからまた作れる、という循環があります。

実装メモを書くと次の改善につながるし、考えを書き残すと次の制作テーマが見えてきます。ブログも、その循環を強くするための場所です。

見せるためだけじゃなく、残すためにも書く

発信というと、外向けのアピールに見えることがあります。でも自分にとっては、未来の自分に残す意味も大きいです。何に悩んで、どう考えたのかを残しておくと、あとから見返した時に自分の軌跡が見えます。

それは営業にもなるけれど、それ以上に、自分がどんな人間として積み上がってきたかを確認する記録でもあります。文章だけじゃなく、コードも自分の日記みたいなものです。どう迷って、どこで壊して、何を直して前に進んだのかが、そのまま残るからです。

だから両方やる

作る人として、書く人として生きる。今の自分は、そのどちらかを選ぶというより、両方を続ける方が自然です。作るだけでも足りないし、書くだけでも足りません。

作ったものに言葉を与え、言葉にしたことをまた作る。その往復を続けることが、自分の生き方に一番近い気がしています。

よくある質問

なぜエンジニアが文章を書く必要があるのですか?

作るだけだと自分の中で分かったつもりで終わりやすく、書くことで曖昧な部分が外に出て考えが整うからです。

発信は見せるためだけのものですか?

見せる意味もありますが、それだけではありません。何に悩み、どう考え、どう積み上がってきたかを未来の自分へ残す意味も大きいです。

コードが日記みたいなものとはどういう意味ですか?

コードにはその時どう迷い、何を直し、どこで前に進んだかが残るので、自分にとっては文章と同じくらい記録の側面があるという意味です。

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