バイブコーディングで作ること自体は、別に悪くないです。自分も勢いで試すことはあります。むしろ、頭の中にあるものをすぐ形にできるのはかなり面白いし、今の時代の大きな武器だと思っています。
ただ、その勢いのまま「作れたから価値がある」と思い始めると、たぶん一気にズレます。誰にも使われない理由は、コードの書き方が軽いからではありません。もっと単純で、もっと痛い理由です。作った本人だけが盛り上がっていて、ユーザーの現実に降りていないからです。
この記事の要点
- バイブコーディング自体が悪いのではなく、自己満足のまま公開してしまうことが危ないです。
- 今は実装の希少性が下がった分、課題設定、導線、信頼、継続責任の差がそのまま結果に出ます。
- ユーザーは作者の達成感を共有していないので、「何が解決するのか」が数秒で伝わらないと離脱されます。
- AI 時代に必要なのは、速く作ることより、軽く作ったものを重く育てる姿勢だと思っています。
問題はバイブじゃなく、自己満足のまま公開していること
バイブコーディングという言葉が先に立つと、AI を使ったかどうかが本質みたいに見えます。でも実際には、そこで失敗している人の多くは、AI が悪いのではなく、作る側の自己満足をそのまま世に出しているだけです。
画面が動く。見た目もそこそこ整う。数日で形になる。ここまでは本当に気持ちいいです。でも、その気持ちよさは作者のものです。ユーザーが欲しいのは、作者の達成感ではなく、自分の面倒が減ることです。このズレを放置したまま公開しても、そりゃ使われません。
ユーザーは、作者の感動を1ミリも共有していない
ここはかなり大事だと思っています。作る側は「こんな短時間でここまで作れた」「この UI いい感じ」「この実装エモい」と盛り上がります。でも、初めて来た人はそんな裏話に基本的に興味がありません。
相手が見ているのは、たった数個です。自分に関係あるのか。今の悩みを減らすのか。怖くないか。面倒じゃないか。続きそうか。そこが一瞬で伝わらないなら、どれだけ内部で綺麗でも閉じられます。ユーザーは冷たいのではなく、ただ忙しいだけです。
コードが安くなったぶん、課題設定の雑さがそのまま露出する
今は AI でかなりの速度で作れます。つまり、実装できること自体の希少性は前より下がっています。ここをまだ理解していないと、「こんなに頑張って作ったのに」となりやすいです。でも正直、そこだけではもう弱いです。
差が出るのは、何を作るかです。もっと言えば、何を作らないかです。誰のどの不便を、どこまで解くのか。逆に何は切るのか。そこが雑だと、完成度が高いほどむしろ空振りが目立ちます。綺麗な空箱を高速で作れる時代だからこそ、中身の薄さは隠れません。
導線と初見の分かりやすさを舐めると、存在しないのと同じになる
作ったのに使われない人の中には、プロダクトの中身ばかり見て、そこに来るまでの導線を軽く見ている人がかなりいます。公開した場所、タイトル、説明文、最初の一歩、誰向けかの明示。このへんが弱いと、本当に存在しないのと大差ありません。
しかも初見の30秒は残酷です。何ができるのか分からない。誰向けか曖昧。始め方も見えない。その時点で離脱されます。作った側からすると「触れば良さが分かるのに」と思うかもしれませんが、触る前に分からないものはだいたい触られません。
使われないものは、だいたい責任を引き受けていない
もうひとつ言うと、使われるプロダクトには責任感があります。問い合わせ先がある。更新履歴がある。バグを直す意思が見える。消えずに続ける覚悟がにじむ。そういうものがあるから、人は少しずつ信頼して試します。
逆に、作って投稿して終わり、飽きたら放置、説明もない、更新もない、誰が運営しているのかも曖昧。これでは機能以前に怖いです。今は AI でそれっぽいものが大量に出てくる時代なので、見た目が整っているだけでは信用になりません。使われないのは性能不足より、責任不足なことが多いです。
それでもバイブコーディング自体は、かなり強い
ここまで言っておいて何ですが、自分はバイブコーディングそのものを否定したいわけではありません。初速を出すにはかなり強いです。試作、検証、叩き台づくり、思考の可視化には向いています。AI 時代でも最後に残るのは判断だと感じるからこそ、初速の武器としては使えばいいと思っています。
ただ、着火剤を家だと思うのは違う、というだけです。燃え上がる最初の勢いと、長く住める構造は別物です。プロダクトも同じで、作り始める力と、使われ続ける力は一致しません。そこを混同すると、作るたびに期待して、毎回ちゃんと外します。
作るだけで偉い時代は、もう終わった
少し尖って言うなら、今は「作れた」だけでは褒めてもらいにくい時代です。なぜなら、みんな前より作れるようになったからです。だからこそ価値が移った先は、課題設定、編集、言語化、信頼、継続です。つまり、人間くさい部分です。
コードでも文章でも、残るものは結局その人の考え方だと思っています。見せかけの完成度より、どこに責任を持つかの方が、あとから効いてきます。
結局、使われるかどうかは「作った後」で決まる
バイブコーディングで作ったのに誰にも使われない理由は、コードが軽いからではありません。作ったあとに、誰かの時間や不安や面倒を本気で引き受けていないからです。逆に言えば、そこまで引き受ける覚悟があるなら、AI を使おうが使うまいがちゃんと届く可能性はあります。
今の時代に必要なのは、速く作ることより、軽く作ったものを重く育てる姿勢なんだと思っています。そこをやらない限り、どれだけ気持ちよく作れても、使われないものは使われないままです。
よくある質問
バイブコーディング自体が悪いのですか?
悪いわけではありません。初速を上げるにはかなり強いです。問題は、作れたことへの達成感をそのまま価値だと勘違いし、課題設定や導線や改善責任を置き去りにしてしまうことです。
なぜ作れたのに誰にも使われないのですか?
ユーザーは作者の感動を共有していないからです。相手が見ているのは、自分の悩みが減るか、分かりやすいか、信頼できるか、続きそうかであり、作る過程の盛り上がりではありません。
AI時代に作り手へ必要なものは何ですか?
速く作ることより、何を作るかを決める課題設定、公開後の編集、信頼を積む姿勢、継続して育てる責任感だと思っています。